コンパクトデザインシティ建設グループ視察報告書

日  時    平成24年5月1日
視察先    京都市 東福寺 特別名宝展 「聖一国師の遺宝」
視察議員  ※鈴木和彦 ※石上顕太郎 ※栗田裕之 ※三浦雅司 ※望月俊明
        早川清文 浅場 武 近藤光男 杉山三四郎 剣持邦昭 沢入育男
        (※コンパクトデザインシティ研究グループメンバー)

我々、自由民主党静岡市議団の中のコンパクトデザインシティ研究グループでは、この度4月21日より5月6日まで、京都五山の一つ東山大本山東福寺にて開かれている聖一国師の遺宝展を視察してきた。

聖一国師は、天皇より初めて国師号を贈られた禅僧で、駿河の国(今の栃沢)の生まれで、久能山久能寺で修業、その後栄西の弟子行勇、栄朝にも仕えその後33才で宋に渡り、杭州径山万寿寺の佛鑑禅師の法を修め、6年を経て帰朝筑紫に承天寺を建て法を説く、その後都に迎えられ東福寺を開山、やがて歴代天皇や幕府の帰依を受けその学徳は国中に称えられた。

国師は中国より多くの経典を持ちかえり、文教の興隆に寄与したが、同時に水力を用いて製粉する機器の構造図を伝えて、製麺を興したり杭州径山の茶の種子を郷里に伝えた静岡茶の茶祖である。

このように、聖一国師は郷土静岡の偉人であると同時に、日本の国にとっても大きな業績を遺された偉人であるが、博多の祇園山笠等であるとか、水車による粉文化など、むしろ遠い九州の地でその偉業を讃えられて有名であるが、茶どころ静岡としてももっと多くの人々に知らしめ、その功績を感謝し讃えるべきであり11月1日は「お茶の日」と言うだけではなく、もっと違う面でも感謝し、町興し、シテイセールスの部分でも、いい意味で利用し感謝すべきではないだろうか。

栃沢の人達は、藪北の苗を届け周囲にお茶の生け垣を作る等、努力をされているが我々ももっと東福寺さんと繋がりを持って、出来る事ならこの聖一国師の遺宝展を、駅前のアートギャラリー等で開催すると言う努力をしてみたらどうだろうか。
 きっと静岡市の為になるだろう。

(報告者 三浦雅司)

東福寺 「聖一国師の遺宝」―法をつたえ宝をまもる

円爾弁円(えんにべんねん)聖一国師は、建仁2年(1202)駿河国に生まれ、園城寺で剃髪し奈良戒壇院において具足戒を受けました。関東を遊学した後に、嘉禎元年(1235)に南宋時代の中国に渡り、中国五山第一の杭州径山万寿寺の高僧、無準師範(ぶじゅんしばん 仏鑑禅師)に禅を学んでその法を嗣ぎました。仁治2年(1241)、帰国後は九州博多にあって豪商謝国明などの援助を受けて承天寺を開きます。その後、藤原(九條)道家の帰依をうけて京都東山山麓の東福寺の開山に招かれました。当初の東福寺は中国風の七堂伽藍を備えた禅宗寺院であるとともに、密教の諸堂の立ち並ぶ禅密兼学の巨刹でした。九條家の他にも一条家・天皇家や鎌倉北條氏など公武にわたる権門勢家の帰依を受け、また顕密諸宗の僧侶とも親交を結び、円爾(えんに)の教禅兼修の宗風が東福寺にその後も弟子たちにより維持され、鎌倉時代を代表する禅風を樹立しました。

この度の名宝展では、鎌倉禅の伝法に生涯をかけた聖一国師に焦点をあて、東福寺に大切に護り伝えられてきた修業時代から晩年にいたる国師ゆかりの文化財を一堂に展観されていた。

入宋以前(1202〜1235)

重文  聖一国師度牒(どちょう)    承久元年(1219)  2幅のうち           1幅
重文  聖一国師戒牒(かいちょう)  承久元年(1219)  2幅のうち            1幅
重文  東寺天台大血豚図(だいけつみゃくず)鎌倉時代                 1幅

入宋時代(1235〜1241)

園爾弁円有髪像(えんにべんねんうはっぞう)南宋時代                 1幅
重文  無準師範墨蹟(ぶしゅんしぱん)
     円爾印可状(えんにいんかじょう)南宋時代嘉煕元年(かき)            1幅
重文  宋版仏法大明録(そうはんぶっぽうだいめいろく)
     南宋時代 4冊 塔頭霊雲院所蔵
国宝  太平御覧(たいへいぎょらん) 南宋時代103冊のうち
屈輪  文大香合(ぐりもんだいこうこう) 南宋時代                    1合

博多承天寺時代(1241〜1243)

国宝  禅院額字(ぜんいんがくじ)
     勅賜承天禅寺(ちょくしじょうてんぜんじ)南宋時代              1幅
重文  承天寺住持職規式(じょうてんじじゅうじしききしき)応永19年(1412)      1幅

東福寺時代(1243・-1280)

重文  藤原道家像    乾峯士曇(けんぽうしどん)の賛がある    南北町時代
金銅密教法具のうち一面器   伝聖一国師所用   鎌倉時代             12点
金銅密教法具のうち金剛杵(こんこうしょ)・掲磨(かっま)
                     伝聖一国師所用   鎌倉時代        3点

金銅密教法具のうち金剛鈴(こんこうれい)
                     伝聖一国師所用   鎌倉時代        2点
金銅密教法具のうち金剛護摩杓(こんこうごましゃく)
                     伝聖一国師所用   平安末〜鎌倉時代    2点
払子  伝聖一国師所用     鎌倉時代   1握
重文  円爾普門院造作院領等目録(えんにふもんいんぞうさいん等目録)
                     鎌倉時代   1巻

晩年の聖一国師(1280)

重文  聖一国師像    弘安3年(1280) 5月自賛                 1幅
重文  東福寺条々    弘安3年(1280) 6月1日                    1幅
重文  聖一国師墨蹟  遺偶(ゆいげ)弘安3年(1280)10月17日             1幅
重文  九條道家惣処分状(そうしょぶんじょう)弘安3年(1280)
     5月円爾書写奥書 1巻
重文  伏見上皇院宣(ふしみじょうこういんぜん) 応長元年(1311)            1幅
五山版 聖一国師年譜 応永24年(1417)刊 塔頭霊雲院蔵   1冊

隣室にて東福寺のみほとけ

鎌倉時代前期に創設された東福寺は摂関家の九條道家が、奈良の東大寺と興福寺を合わせたような大寺にしたいという願いから名づけられた京都随一の巨刹です。中国で学んだ円爾弁円が開山に迎えられましたが、創建当初の東福寺は今日の禅宗寺院のように純粋な禅寺というよりは、禅宗と密教をかねたような寺院でした。東福寺の寺地にはかつて摂関家の藤原忠平が建立し、出家後の藤原忠通が住まいとした法性寺という藤原氏の大寺がありました。その後鎌倉時代になって子孫の藤原(九條)道家によって法性寺を取り込むように創建された東福寺には、禅宗にいう七堂伽藍のほかに、密教修法を執り行う五智如来を安置する五重塔や潅頂堂などもあり、また、法性寺伝来の仏像も安置されていました。このような歴史を持った東福寺には、平安、鎌倉、南北朝・室町時代にわたる、注目すべき仏像が数多く伝来し、他の禅宗寺院とは異なる特色を示している。

重文  阿弥陀如来坐像       平安時代       万寿寺
重文  金剛力士立像         鎌倉時代       万寿寺
重文  二天王立像          室町時代
重文  地蔵菩薩坐像         鎌倉時代
重文  僧形坐像            鎌倉時代
傅大士・普建・普城像         鎌倉〜南北朝時代
重文  朱漆塗牡丹唐草文透彫卓(しゅうるしぬりぼたんからくさもんすかしぼりじょく)   南北朝時代

以上の遺宝を拝観しながら、これらの重文を聖一国師の生誕の地、静岡で展示し、市民の皆さんに茶祖聖一国師を誇りに想い身近に感じ、感心を持ってもらいたい。静岡茶がおらんとこの、これ一番事業として成果が上がるよう努力しなければならない。
 新緑美しいこの季節、今もなお中世伽藍の威容を伝える東福寺境内を散策しながら、貴重な遺宝を通して聖一国師が生きた時代の息吹やその思想を感じた時間でした。

(文責 早川清文)